江川家は今から870年前、保元の乱をきっかけに伊豆に移り住みました。鎌倉時代、室町時代、戦国時代を生き抜き、徳川政権に時代には、旗本として、天領を預かる代官として伊豆韮山と江戸本所の屋敷を往復していました。

江川家の主屋は、1600年頃建てられ、単層入母屋造りの壮大な建物で、「小屋組づくり」と呼ばれる幾何学的な屋根裏の木組みは、今日でいう免震構造になっています。
36代江川太郎左衛門英龍(坦庵)は名代官として知られ、海防の必要性から沿岸測量、韮山反射炉やお台場の建設、わが国最初の洋式帆船建造や種痘の実施、パン製造など多大な業績を残しました。
邸内には「パン祖の碑」が立てられています。

近代的な軍事制度を取り入れようとした英龍は、携行食としてパンの活用を考えた。伊豆で山狩りを行った時パンを携行し、英龍は塾生にパン以外は食べることを許さなかったそうです。江川邸の竃で初めてパンを焼いたのが天保13年(1842)4月12日とされ、昭和27年、全国パン協会はこの日をパンの記念日と定め、英龍は「パン祖」の称号を与えられたとのこと。
パン祖のパン祭も行われています(1月第3週の土日、2日間にわたって開催されるイベントです)。
表門は元禄9年(1696)に建築された薬医門で、文政6年(1823)と平成12年に屋根の葺き替え等の修繕が施されています。

土間に入ると屋根裏の架構が見事です。棟高約12mもあるため、迫力がけた違いです。当時の匠の技に感銘を受けました。

米蔵は明治(1892)と大正(1919)に建築された比較的新しい建物です。
南米蔵・北米蔵

内部は農機具や鉄砲などの展示スペースになっています。
裏門は最も古い部材を使用しているそうです。天正18年(1590年)に豊臣秀吉秀吉の小田原攻めで、韮山城も包囲されました。砦での一つだった江川邸も激しい攻撃を受け、その当時の鉄砲玉や矢じりの跡も残っているとされています。
裏門自体の建築は、文政6年(1823)です。

江川邸入場券は一般 :500円, 団体400円, 小中学生 300円, 小中学団体 200円, 市内一般 400円, 市内小中 200円
開館時間: 9:00~16:30(受付16:15まで)、尚、水曜日は9:30~15:00
アクセス
車でのアクセス:沼津ICー伊豆縦貫道「大場・函南IC」→国道136号線→修善寺方面に左折(所要25分)
公共機関によるアクセス:新幹線で三島駅 → 伊豆箱根鉄道 → 韮山駅
駐車場:あり(無料)
お問合せ:055-940-2200()(江川邸公開事務室)
韮山反射炉
韮山反射炉は築造当時の形で現存する反射炉であり、1922年(大正11年)国の史跡に指定。伊豆の国市中字鳴滝入に現存している反射炉の遺跡。高さ15.6mの連双2基で合計4炉で構成されている。
日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉(山口県萩市)のみです。
1840年(天保11年)のアヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官江川英龍は海防政策の一つとして、鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議した。韮山反射炉は、1853年(嘉永6年)の黒船来航を受けて、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定されたようです。

1855年(安政2年)、江川英龍が死去すると、跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め、1857年(安政4年)に完成した。
そして1857年から1864年まで、反射炉での鋳造が行われた。1868年幕府直営から江川家私営となる。以降風化が進むが1908年(明治41年)韮山村有志が反射炉敷地を買い、陸軍省に献納したことにより、陸軍省所管となった反射炉は再工事され、翌年に落成。以降、韮山反射炉保勝会が維持・管理を行うこととなる。


実際に大砲を製造した反射炉としては、国内で唯一現存するものです。
韮山反射炉は2015年(平成27年7月5日)に世界遺産登録が決定しました。
アクセス
公共交通機関でのアクセス:JR三島駅より伊豆箱根鉄道 伊豆長岡駅から徒歩20分~25分(土日祝なら循環バス「歴バスのる~ら」:300円がある)
車でのアクセス:伊豆中央道・長岡ICから約5分
駐車場:あり(無料)
問い合わせ:055-949-3450(ガイダンスセンター)
このような旅に必要なシューズを紹介します。
夏は暑い!頭が暑い、そんな時は
楽しかった旅、記憶の残すには記録に残そう
